28
2006
停電の夜に。
11月27日19時18分頃、東京・東村山市のJR武蔵野線新秋津駅構内で
貨物列車が故障し、走行できなくなった。このため、貨物列車の後を
走っていた普通列車がトンネル内に停車、乗客約500人が約2時間、
車内に缶詰になり、駅まで1kmを歩いて移動した。
昨日、仕事を終えて南越谷駅で19:27発の武蔵野線を待っていたら、
ホームには普通に入ってきた電車が動かなくなったんですね。
構内に流れてきたアナウンスを聞いていたら、何でも新秋津で停電があり、
現在車両等の点検中で、運転再開の見通しは立っていないとヵ。
11月9日16時10分頃に、南越谷―吉川駅間の線路沿いで発生した家屋の
火災が原因で、武蔵野線が運転を見合わせた(17時半すぎに復旧)際には、
運良く武蔵浦和駅に居たので自宅方面に向うバスのみで帰宅できたのですが、
南越谷駅からは、(たった3駅先にも関わらず)自宅方向へダイレクトに
帰れるバスなどは存在しない。どないしョーヽ(゜д゜三゜д゜)ノ
通常なら、武蔵野線に乗れば3駅15分程度で到着する地元駅への
代替経路として脳内に浮かんだものは、東武伊勢崎線で春日部まで
出た後、東武野田線に乗り換えて大宮へ行き、京浜東北線で戻る
ものだったが、これだと1時間とヵ、1時間半とヵかかっちゃうんですよね。
地理的にあまり詳しくない所だったため、脳内にはこれしか浮かばなかった
ので、携帯を使って検索でもしようかと思ったんですが、電車が止まった
事を知った時点で、帰宅後に連絡を入れる予定があった顧客に
ホームから電話を入れた際、話の途中で携帯電話の充電も切れて
しまっていたんです。ガ━━(= ̄□ ̄=)━━ン!!
少し待ってから再度電源をONにしてみたら、運良く使えそうな気配
だったんですが、程無くその顧客から着信があって、流石に通話は
出来なかったものの、留守電録音で再び充電を使い果たした携帯は、
以後完全に沈黙してしまいました・・・〓■●
その後に流れてきた構内アナウンスで案内された振替経路は、
僕が最初に考えて破棄した案(前述)と全く同じものだったので、
待ち続ける方針を決定し、前日(26日)夕刻に起床してから、
寝ずに朝から仕事をしていた事もあり、電車のシートに陣取って
本など読んでいるうちに、少しウトウトしてしまったらすぃ。
程無くして1駅だけ動くというアナウンスがあり、21時半すぎ頃、
ようやく隣の東川口駅に到着。ココからだと、以前SE時代の僕が
住んでいた辺りを通って浦和駅まで出るバスがあるんですよ!
但しこのバス、以前は1時間に2本程度しか無かった気がしたので、
改札で振替票なるものを貰って、ドキドキしながら停留所に向かった所、
21:54発のバスがあるぢゃんヵ・・・って事で、昔住んでいた時に
ウロウロした風景や、放火事件によって燃えてしまったセルバンテスの
小説に出てくるスペイン騎士の名前がついた量販店の場所が
どうなったかなどを確認しながら、無事に浦和に到着。更に1駅
電車に乗って、やっとの思いで地元駅に到着しました。
地元駅でも混乱が生じていたよーで、タクシーを待つ人で溢れている
駅前を足早に離れ、買物をしてから帰宅すると、23時をとっくに
まわっていました。トンネル内に缶詰にされなかっただけ良かったけど、
あー、疲れた_| ̄|○
因みに武蔵野線はと言うと、反対側へ行く南越谷-西船橋間が
22時頃に折り返し運転で再開。僕が乗って来るハズだった
府中本町-南越谷間の運転再開は、28日1:28だったらしい。
その後の復旧作業も手間取ったようで、28日の始発も約20分遅れ、
上下線8本が運休したよーです。事故の原因は、貨物列車を牽引する
電気機関車の「電動発電機」と呼ばれる装置が何らかの原因で焼損し、
このため、過大な電流が流れ出し、架線の一部が熱で損傷したらしいです。
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